~「だっこちゃんと宇宙船アポロ」について~


 この作品は曲がりなりにも「小説」なので「あとがき」は必要ない筈である。

しかし、この得体の知れぬ創作のきっかけについて、少しだけお話ししておきたい。

何故なら、ここで書いておかなければ、恐らく誰も聞いてくれないことがわかっているからである。

ソロモン・ヴォルコフ編「ショスタコーヴィチの証言」に関する業界の真贋論争には、既に終止符が打たれているのかも知れない。

だが、それを承知で敢えてこの禁断の果実に手を伸ばしたのには、ちょっとした経緯があった。

 

 一昨年、僕は古くからの友人で、現在カナダのトロント交響楽団でアシスタント・コンサートミストレスを務める木村悦子と共に弦楽アンサンブル・グループ「Musica14.8」(ムジカ・カトルセ・コンマ・オチョ)を立ち上げた。

この楽団の一つ目の特徴は構成するメンバーが世界中に散らばっており、普段はそれぞれ全く違う国のオーケストラで活動をしていること。二つ目の特徴は主に20世紀に活躍した大作曲家の作品をレパートリーの中心として扱っていること。

 20世紀は世界大戦の世紀であり、冷戦構造とその崩壊の世紀でもあり、その複雑化した社会を反映して実に多種多様な創作が行なわれた時代である。しかし、21世紀になっても世界は争いを止めるどころか、ますます無益な抗争を繰り広げている。

 欧州、北米で活躍する友人たちと演奏活動を行っていると、自然と我々島国の中では見えてこないグローバルな視点から物事を考えるようになってくる。例えばウクライナ情勢ひとつとっても、欧州にとってはすぐ近所の出来事であり、日本のメディアの報道とはその緊迫感において雲泥の差があるのだ。

このメンバー達と共に、今年(2015年)の夏にショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番op.110を演奏することが決まった時、僕は「ショスタコーヴィチの証言」にまつわる顛末について、あれこれと思索を巡らせた。

 偉大な芸術家の遺産からは、真実を語る「声」がはっきりと聞こえて来る。僕がこの天才作曲家と実体に於いて共有した貴重な時間はわずか10年間であるが、社会が作り上げた壁を可能な限り乗り越え、その時代を見つめ直す試みをしてみた。

そして、彼の音楽と残された「証言」が導く「声」に従い、それを追った結果として起こった現象についてまとめ上げたのがこの作品なのである。

 

 先に申し上げた通りこれは「小説」である以上、内容に関してこれ以上触れるつもりは無いが、歴史的に検証されるべき(ローレル・E・ファーイ氏の言葉を借りるならば)事項が含まれている事を勘案した際に、この業界に生きる人間の端くれとして、多少の注釈が有意義であるかもしれないと考え、ここに記しておくことにした。

 本文中の、D・ショスタコーヴィチ氏の発言、或いは彼の倫理観、哲学などに関しては、多くの部分でS・ヴォルコフ編(水野忠夫訳)「ショスタコーヴィチの証言」から引用させて頂いている。

更に一部引用を含め、ほんの少しでも参考にさせて頂いた文献に関しては以下に記す。

最後になったが、文章を起こすという、僕にとって決して容易ではない作業を遂行するにあたって、近年僕が「Musica14.8」以外にもうひとつ、自己の演奏活動の核として立ち上げた劇的音楽集団「あるまじろ」との関連性は切っても切れないものである。つまり、シナリオ起こしという、一介の演奏家にとって大それた行為を真摯に受け入れてくれたメンバーの理解によって、この作業は実現したのである。

 この場を借りて、10代という若い世代の目線から率直な意見を提議してくれた ”りんちゃん” こと山下凜、日本語の初歩的なミスを犯し続ける僕に匙を投げることなく、特に第3話以降は全編にわたって校正を手がけてくれた ”Masa” こと定兼正俊(本文中の “アキロヴィチ” )の両氏に、この場を借りて心から感謝申し上げたい。


2015年3月14日 著者記す

 

~主な参考文献~

 

・ソロモン・ヴォルコフ編(水野忠夫訳)/『ショスタコーヴィチの証言』中央公論社、1980年。

・遠藤聡/『ベトナム戦争を考える』明石書店、2005年。

・岡田嘉子/『悔いなき命を』日本図書センター、1999年。

・音楽の友社編/名曲解説ライブラリー『ショスタコーヴィチ』音楽の友社、1993年。

・ガリーナ・ショスタコーヴィチ、マクシム・ショスタコーヴィチ(語り)ミハイル・アールドフ編(田中泰子・監修「カスチョールの会」訳)/『わが父ショスタコーヴィチ』音楽の友社、2003年。

・フレデリック・ケンプ(宮下嶺雄訳)/『ベルリン危機1961』白水社、2014年。

・ミハイル・ゴルバチョフ(田中直毅訳)『ペレストロイカ』講談社、1987年。

・志水速雄全訳解説/フルシチョフ秘密報告『スターリン批判』講談社学術文庫、1977年。

・佐藤恭子訳/『メイエルホリド・粛清と名誉回復』岩波書店、1990年。

・千葉潤/人と作品『ショスタコーヴィチ』音楽の友社、2005年。

・橋口譲二/『ベルリン物語』情報センター出版局、1985年。

・平澤是廣/『越境 岡田嘉子・杉本亮吉のダスピターニャ』道新選書、2000年。

・福岡伸一/『動的平衡』木楽舎、2009年

・ローレル・E・ファーイ/『ショスタコーヴィチ ある生涯』アルファベータ、2002年。


 

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