だっこちゃんと宇宙船アポロ(7)


 アキロヴィチという名前は、彼の言わばもうひとつの故郷であるロシアの兄弟たちが使う呼び方である。もちろん彼は日本人であって、兄弟たちとは全く血縁関係は無いわけだが、岡山に居るアキロヴィチの厳しくも優しい父上、アキラさんの名に由来する父称は、彼とロシアの精神的な結びつきの強さを如実にあらわしている。


 彼がいつ頃からロシア芸術の世界に足を踏み入れたのか、僕はよく知らない。タルコフスキーの映画を強く勧められた時も彼が元来、解説者になれるほどの映画通であった事を考えると特に不思議ではなかったし、ショスタコーヴィチやプロコフィエフの音楽に関しても、彼が先進的スタイルのギタリストである事を思えばむしろ自然の成り行きであったように思える。しかし、ゴーゴリやチェーホフ、トルストイやドストエフスキーといった文学にも傾倒し、ついにはたびたびこの国を訪れて長期滞在しながら創作活動を行うようになるとは、過去に全く予想だにし得なかった事である。彼はロシアに行くと必ず僕に宛てて美しい教会などの絵葉書をくれた。それは僕にとってはBCLでモスクワ放送から頂いたベリ・カード以来の、この国から受け取る貴重な郵便物であった。


 初めてロシアに行った当初はネットで知り合った友人たちと会って親交を深めていたアキロヴィチであったが、彼らの第一印象はとにかく驚くほど素朴で純粋なものであり、もし仮にいま彼らの家に腹黒い悪党が泥棒に入ったとしても、人を信じることに全く躊躇することのない彼らの優しさに触れたなら、その泥棒はすっかり心を入れ替えて何も盗む事なく帰って行くだろうと思われる程だった。果てしなく続くロシアの青い空や緑の大地と同じく、彼らの素顔はどこまでも純朴であった。

しかし同時に、ロシアの人間社会には我々の想像もつかない闇が存在する事も確かであった。

街頭で歌を歌えば、すぐに人が集まってきて興味深そうに聴いてくれる。中にはビールをご馳走してくれたり、小銭を投げてよこす人もいる。だが、クレムリン近くの公園で歌うとなると話は別で、どこからともなく政府の人間が現れて「お前は何者だ?どこから来た?ここを一体どこだと思っている!歌詞を見せろ」と押し迫ってくる。

 この国では未だに反体制への取り締まりは厳しく、言論の自由などないに等しいのだ。

不法滞在ではないか?と言いがかりをつけてくる警官も多く、しかもその目的は殆ど賄賂による小遣い稼ぎである。この国では公務員の汚職など日常茶飯事なのである。


 ある時、モスクワの地下鉄でテロ事件が発生した。直ちに警察と軍が街を封鎖した。この国ではこういった有事が起こった場合、犯人の足どりを確実に押さえるために、まず市民の動きを止める。

首都で物々しい騒ぎが起こっている頃、アキロヴィチはいつもと同じように心温まる友人家族にもてなされている最中であった。極東の客人とまるで自分たちの本当の兄弟のように接してくれる、その幸福な時間の只中に事件は発生した。


 その時の友人の両親の恐怖と後悔の表情をアキロヴィチは今でも忘れられない。

もしも今、この家に当局の捜索が入ったとしたら、この人たちはみな不審な東洋人を匿っているかどで拘束、あるいは投獄されてしまうのだろうか?

(まさかそんな!)

普通の感覚からすれば、いくらなんでもそんな理不尽なことが起こるわけがない。だが、心底怯え切った彼らの悲痛な姿は、この国では何が起こっても不思議ではないということをアキロヴィチに理解させた。

スターリンの亡霊の前では真実など無意味なのだ。どんな些細な事でも、言いがかりをつけられて冤罪をでっちあげられればお終いなのである。ひとたび嫌疑をかけられれば、一生帰って来れまい。下手な動きをすれば極刑にまで発展するだろう。ソ連時代を生きてきた人々は、この国のそういった体質を身に沁みて知っているのだ。

アキロヴィチにとってのロシアは愛してやまない、美しく、それでいて恐ろしい国でもあった。


***


 人は時間軸と空間軸の間を無数に存在するゴンドラに乗って、お互いに複雑に交差し干渉しながら無限に延伸し続ける見えないレールの上を、ただひたすら彷徨い続ける意識体として各々が独立して存在している。

 僕たちが、本来存在していると信じる実像の裏づけとしての観念的なステージの上では、未来とか過去とかいった概念もなければ、物理的な唯一絶対的な存在という論拠も通用し得ない。行き先の見えない道筋はお互いの精神連鎖を司り、常に時空を超えて交わり続ける。さらに、人と人とは無数の細胞の集合体同士でありながら、同時にたった一つの中枢を真諦とした無限に膨張を続ける巨大な単一組織体でしかない。

 いくつものブースに分けられたゴンドラは、それに依拠する個体それぞれが持つ理念を頼りに、記憶の糸を編み変えながら常に移動し続けている。愛する人と別れたあとでもなお、いつまでも永遠にその匂いや体温は自分の感覚から消え去ることがないのと同じように、実体に於いて「過去」とされている人間も、たとえ肉体としてそこに存在しなくとも記憶は永遠に残される。

 僕たちは、そういった「過去の人」と自分は別世界に居ると信じているが、実はその仮定を裏づける根拠はなにひとつ存在しない。僕たちが存在していると信じている現実世界は、ただ単に物理的変化をその準拠として時間を計測する、極めて虚無で壮大な幻覚に過ぎない。いま仮に「宇宙」と呼ばれるこの空間を「科学」と呼ばれる物差しで計ったところで、僕たちの存在意義に対しては、なんの確証を得ることもできないのである。


 ゴンドラ同士は常に交錯し合いながらも、お互いの行く手を塞ぐような事は無く、通常では正面衝突のような突発的事故が起こることはあり得ない。だが、ごく稀に何か大きなエネルギーの干渉・・・例えば一度自分の生命を強制的に終了させようとした者が、いきなり方向を転換して路線のポイントを無理やり切り替えようとした時など・・・によって一時的に停止を余儀なくされる瞬間がある。


***

 

 2014年、東京


 あれから一体どれほどの時間が経ったのだろう?

とても長い時間だったような気もするが、ほんの一瞬のようにも思える。

気でも失っていたのだろうか・・・

息苦しさはまだ少し残っていたが、僕は徐々に自覚を取り戻しつつあった。

(やっぱりエレベーターの故障かな?)

ぼんやりと非常ベルの赤いボタンを視線が捉えた直後、突如 ”ガクン” という軽いショックと共にエレベータのドアが開いた。

日曜日の遅い目覚めのあと、遮光カーテンを勢い良く開けて、既に高く昇った太陽の光を一瞬で集中的に浴びた時のように、突如差し込んできた強い照明に僕の瞼は反射的に閉じた。

そして、少しづつその目を開いていった時、僕は逆光の中にある人物のシルエットを確認した。

そこに立っていたのは紛れもない、ドミートリィ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ、その人であった。

 遂に僕は、期せずしてからまった記憶の糸をたぐりよせるように、世紀の巨匠と直接対峙することになった。それは、僕が彼の記憶に迫ろうとしたためなのか、それとも彼が自身の存在意義を明確にしようと試みた結果なのか、はたまたその両方が偶然同時に作用した現象なのか、いずれにしても今この事態を論証することは、まったく不可能であると思われた


***

 霞ヶ関ビル、35階レストラン


 帝都東京の港湾を遠く南東へ見下ろす高層階の窓際席。

僕の目の前には20世紀最大の天才作曲家が座っている。

ショスタコーヴィチの顔色は悪く、尋常ならぬ汗をかいている上、ひどく酒と煙草の匂いを感じた。年の頃は僕とあまり変わらないように見えるその人の表情は、明らかに憔悴し切っているようであった。

レストランの中は閑散としていた。

 サラリーマン風の男性3人連れはしきりに額の汗を拭いながらビジネス話に夢中だし、同じ列の窓際に向かい合って座っている初老の夫婦は、言葉少なく外の景色を眺めながらコーヒーとケーキを楽しんでいる最中であるが、僕たちを除く店内の客はそれで全てであった。

永遠に出口が見つからないような、思索の連鎖から飛び出したばかりの僕の頭は、冷静に考えれば通常では考えられない超常現象の渦中にあるにもかかわらず、その意識は ”彼が一体何を求めてここに姿を現したのか” という疑問に集中していた。

 

「ドミートリィ・ドミートリエヴィチ、あなたは何をお探しなのでしょうか?」

恐る恐るだが、最初に声を発したのは僕の方であった。

ショスタコーヴィチは僕の質問には答えず、右手をズボンのポケットの中に突っ込んで、何かを探すようにモゾモゾと動かしていたが、やがて思い出したようにもう片方の手を挙げてボーイを呼んだ。

「君、紙巻きタバコはあるかね?」

「こちらに置いてあるタバコは全て紙巻タバコですが」

と、ボーイが礼儀正しい口調で言った。彼の顔は見えなかった。いや、正確に言えば斜め下の角度から完全に捉えているはずの彼の顔は、不思議なことに全く認識できなかったのだ。髪の毛で隠れていたわけでもなく、光の反射で邪魔されていたわけでもない。敢えて言うなら漫画でよくあるような斜線が入っている顔のように、まったく判別がつかなかったのだ。

「そうですか。では何でも結構ですので、持って来て下さい」

「かしこまりました」

ボーイは直ぐに何種類かのタバコを持って戻ってきて、真っ白なテーブルクロスの上に並べて見せた。

セブンスター、ホープ、ピース、ハイライト・・・懐かしいパッケージに思わず僕も身を乗り出す。昔はよくアキロヴィチと吸っていたものだ。

ショスタコーヴィチはその中から「ゴールデンバット」を選んで、まじまじと眺めたあと封を切りながら、「パピローサですよ」と言った。

「はい?」

「探し物の話をしていたのではありませんでしたか?」

「ああ、ロシアの紙巻タバコでしたかね・・・」

ショスタコーヴィチは「ゴールデンバット」に火を付けながら話を続けた。

「いや、あなたが本当に尋ねたい事はだいたいわかっています。しかし、私にその答えを求めるのは間違っていませんか?尋ねるのは私の方です」

ショスタコーヴィチはタバコの煙をゆっくりと吸い込み、そしてまたゆっくりと吐き出した。

 

「ドミートリィ・ショスタコーヴィチの交響曲の中で最高傑作は?」

ショスタコーヴィチは鋭い目で唐突に尋ねてきた。

僕は口から心臓を吐き出すかと思うほど動転したが、それでも自分の感想を率直に述べることが重要だと思い、勇気を振り絞って答えた。

「第4番・・・だと思っています」

「ほう」

ショスタコーヴィチは「ゴールデンバット」が気に入ったのか、気に入らないのか、どちらかわからないが、またパッケージに見入っている。

「ただし、一般大衆の人気は圧倒的に第5番ですが」

「なるほど、それは私の想像の範囲です。あなたもそう答えるかと思いましたが」

「僕が現在生きていると考える世界、つまり少なくとも2014年の世界では、そうだと思います。ただし演奏家や専門家の解釈は様々です」

「ありがたい専門家先生たちの評価に一体どのような価値があるというのでしょうか?音楽は常に一般大衆のものです」

そう言って、ショスタコーヴィチはまた、深々とタバコの煙を吐き出した。

「僭越ですが・・・一般大衆があなたの音楽を理解するにはもう少し時間がかかるかも知れません。それまでの間は専門家の評価が無ければ、どんなに素晴らしい作品も忘れ去られてしまう危険があります」

「そうでしょうね。しかし、演奏家や評論家が ”でくの坊” ばっかりだったとしたら、やはり私の作品は世の中から忘れ去られるでしょう」

「ええ、そういう意味では交響曲第5番は良い時間稼ぎになると考えることもできます」

「時間稼ぎですって?!なかなか大胆なご意見ですね。あなたは一体、私の交響曲の何をわかっていらっしゃるというのですか?」

(しまった・・・)

僕の悪い癖である。調子に乗ると立場もわきまえずに、とんでもない事を口に出してしまうのだ。

ふと、ある人の言葉を思い出した僕は慌てて言い訳のように進言した。

「私の尊敬する、ある指揮者が交響曲第5番について言っていました。『既に売れている抽象画家が街に出て肖像画を描いたら黒山の人だかりが出来たのだ』、と」

途端にショスタコーヴィチは鋭い視線で僕を捉え、握り拳でテーブルを ”ドン” と叩いた。

「なんということだ!私は『既に売れている抽象作家』などでは決してなかった・・・それに私は・・・」

それまで優しい印象だったショスタコーヴィチが突然感情を剥き出しにした。

(ああ!また余計な事を言ってしまった・・・)

僕は言葉に詰まった。

いや、言いたい事はたくさんあった。だが、相手は世紀の天才作曲家である。これ以上モノを申す勇気はなかなか湧いてこなかった。

そしてショスタコーヴィチも、そのまま沈黙してしまった。


***


 人間は記憶というバケツに放り込まれたメダカの群れのようなものである。自分たちの意思で行動していると思い込みながら、実際には皆と同じように水の中をひたすらぐるぐると周回し続けているだけに過ぎない。


 二人の沈黙は数分間続いた。

僕は再び勇気を振り絞って発言を試みた。

「僕は・・・僕は交響曲第4番を真に偉大な作品だと思っています。それは先ほど申し上げた指揮者も同じ見解のようです」

だが、僕の声はショスタコーヴィチの耳には届いていない様子であった。

僕は動悸を抑えながら言葉を繋いだ。

「もしも当時、何でも自由に作曲して発表することが可能だったとしたら、交響曲第5番はこの世に生まれてきたでしょうか?」

陰鬱そうに下を向いていたショスタコーヴィチは少し顔を上げた。

彼の目の周りは赤く腫れあがっていた。

「いえ、もちろん僕も、この作品に感動しました。ひたすら素晴らしい楽曲だと思いましたし、今でもそう思っています。しかしその後、あなたの他の作品を知った時に思ったのです。この曲は、ショスタコーヴィチという人の個性を象徴する語法が限定的に用いられていると。言ってみれば交響曲第5番はよそ行きのショスタコーヴィチです。できる限り既存の語法の中で、如何にわかりやすく自分を伝えるかということに徹するあまり、本当に伝えたい部分を簡素化している事に気がついたのです」

ここで僕の言葉は途絶えた。僕の拙い音楽知識と語彙でこれ以上語ることは不可能だった。

(ここまでだな)と思った瞬間、僕とショスタコーヴィチの視線は一直線上にあった。


 少し間をおいて、ショスタコーヴィチはゆっくりと重い口を開いた。

「あの時・・・そう、1936年にあのまま交響曲第4番の初演を行っていたら間違いなく私はスターリンによって粛清されていたでしょう。生きていなければ何を表現することもできない。しかし、私たちが自分を表現するために与えられた時間には限りがある。違いますか?」

「おっしゃる通りです」

「詩や小説、あるいは演劇などは言葉によってその表現はある程度直接的にならざるを得ない。ゾーシチェンコも、マヤコフスキーも、メイエルホリドも、言葉の呪縛から逃れることは出来なかった。私はあの時、楽曲全体を抽象的に統一する手法から、写実的で明確な素材同士を構成の中で抽象的に繋ぎ合わせる試みに転換したのです。音符が示す具体的な何かを、言葉以上に明確にすることが不可能である事は、どんなに芸術に無頓着な人にも理解できる事ですが、意図的に抽象化された符号による表象を芸術論に翳すのは、自ら穿った役人の餌食になりに行くようなものです。しかし私は、自己の信念を曲げた覚えは全くありません。創作にどのような制限を課せられたとしても、私は常に最上の音楽を書き上げる自信があったし、その事に微塵の憂慮もなかった。結果として私は聴衆から熱狂的に受け入れられたし、スターリンの餌食になることもありませんでした。つまり、私は音楽を翻訳することに成功したのです」

 

 ショスタコーヴィチはこの件について、それ以上会話を続けようとしなかった。

失礼だが、どれほど理路整然とした釈明があったとしても、僕が完全に納得できる回答が得られるとは到底思えなかった。あくまでも僕の邪推にすぎないが、もしかしたら本人にとってもこれはどうしようもないジレンマなのではなかろうか?僕は話題を別の作品に移すことにした。

 

「実は僕たちは来年の夏、あなたの弦楽四重奏曲の第8番を、合奏で演奏するつもりなのです」

僕の言葉に、ショスタコーヴィチは再び顔を曇らせた。

「その曲は・・・その曲は私がほんの先日、書き終えたばかりです・・・」

(ということは、1960年か。どうりで僕といくらも歳が変わらない筈だ。ってことは・・・共産党に入る前・・・そうだ、ドレスデンから帰って来た日に違いない)

「それはあまりに辛すぎたのです。その曲を書くということは、つまり私にとって・・・」

(死を意味する・・・ドミートリィ・ドミートリエヴィチ、僕はもちろんそれを知っています)


 ショスタコーヴィチはタバコの火を揉み消すとまた直ぐに「ゴールデンバット」を一本取り出して火をつけた。

「それにしても、よく吸われますね・・・タバコ」

煙にあからさまな嫌悪感を示した僕を遮るように、ショスタコーヴィチは覆いかぶさって話を続けてきた。

「あなたは『ロスチャイルドのヴァイオリン』という作品をご存知ですか?」

これは予想できた質問である。おそらく、ショスタコーヴィチがここへ来た重要な理由の一つであることは間違いない。

「いいえ・・・ドミートリィ・ドミートリエヴィチ、それはフレイシュマンさんのオペラですね?残念ですがその作品は2014年の現在でもまだ世間に知られてはいません」

「そうですか・・・やはり」

ショスタコーヴィチは深く頷いてから、僕に疑問を投げかけた。

「では何故、あなたはこの作品の存在をご存知なのですか?」

「ドミートリィ・ドミートリエヴィチ、実はあなたが亡くなった後、あるジャーナリストがあなたが生前に語ったという回想録を、あなたの『証言』として出版したのです」

「なるほど、そういう筋書きですか」

ショスタコーヴィチの表情はにわかに活気づいてきた。

「わたしはそれを自分で解決する方法を模索していました。しかし、なるほど、そうですか・・・もしもそのような人物が存在するのなら、未来に希望を託すことも可能かもしれない・・・」

僕は得意になって鞄の中に入れていた日本語版『ショスタコーヴィチの証言』を取り出した。

「ソロモン・ヴォルコフという方です。いえ、まだあなたはお会いになっておられない筈です。彼はあなたが作曲した弦楽四重奏曲第8番に感動して・・・」

「お待ちなさい!」

突如、ショスタコーヴィチは立ち上がり、右手を前に出して僕を制した。

「あなたはそれを私に話してどうしようというのですか?」

ショスタコーヴィチは自分の声に驚いたように暫くの間、立ち尽くしていた。

「申し訳ありません・・・」

「・・・いいえ、もうよろしい」

ゆっくりとまた椅子に座ったショスタコーヴィチは何だかとても落ち着かない様子であった。

 

「ドミートリィ・ドミートリエヴィチ、つかぬことを伺いますが・・・ゆうべは何をお飲みになられましたか?」

ショスタコーヴィチはビクッとしたように一瞬肩を震わせたあと、そっぽを向いた。

「ウォッカですよ?」

「いいえ、ドミートリエヴィチ、ウォッカだけでそんな状態に陥るはずがありません。確かレヴェジンスキーの話したところによると・・・」

「おや、あなたはまた私の知らない過去の記憶を掘り返して私を向き付け不可能なメビウスの帯に陥れようというのですか?」

「いいえ、決してそういうわけではありません!ただ、僕は・・・」

(あなたはまだ生き続けるのです、ドミートリィ・ドミートリエヴィチ!そして・・・!!!)

「それにしても意外な名前が出ましたね。よろしい、彼が一体何を言い残したというのでしょう?」

(ここまで喋った以上、誤魔化しなど許される相手でもあるまい・・・)

「あなたが所持していた大量の睡眠薬は処分されたと」

ショスタコーヴィチはジロリと僕を睨んだあと、大きな声で笑った。

「あはははは!なるほど、レヴェジンスキー!彼の考えそうなことだ」

そう言ったあとショスタコーヴィチは一瞬で無表情になった。それはまるで死者のような蒼く冷たい顔だった。

「生きていることに耐えられなくなったのですよ・・・それで、逃げようと思ったのです。彼が持ち去ったと言っているものは、ただの ”胃薬” です。私が予め入れ替えておいたのでね。でも、私は結局逃げられなかった。飛び降りるべき下界の状況を観察している時に、急に大切な忘れ物を思い出したのです。まだやらなければならない事が残っている事を。そのあとは無我夢中で這い上がろうとしました。私には何としても未来に確実に伝えたい事があるのです。私の命は永遠に続くわけではない。しかし、私の体は水となり、土となり、空気となって地球上に存在するでしょう。私が願った事は、今は言葉や音楽に形を変えていますが、それは観念的に人々の心に永く残るものだと信じたい。そして私はそれを既に具現化しているであろう未来を無意識に探し求めたのです・・・深い眠りの中で、様々な人の営みが猛スピードで通り過ぎて行くのが見えました。そして必死に手を伸ばし、掴んだ扉を夢中で開いたのです」

「なるほど・・・僕があなたのことを考えていたからでしょうか?」

「さあ?それはわかりません。ただ一つ言えることは、こういった状況・・・つまり、自殺をしようと考えた時に ”忘れ物” が無い人など居ないということです」

「ええ、・・・」

返事をしながら、突然僕は急速に冷静になっていく自分に気がついた。今頃になってやっと、これほど偉大な人物が自分と対峙している事の重大さを認識し始めたのだ。同時に自分の愚かな発言に羞恥心を覚えはじめ、顔が真っ赤になっていくのがわかった。

 

「僕とあなたはいま、観念の中で会話をしている、とでも考えればよいのでしょうか・・・」

ショスタコーヴィチはフッと笑い、そして優しい口調で言った。

「とても非科学的な推測ですね。しかし、芸術点を少しあげましょう。そうですね・・・あなたがロシア語に長けていないのであれば、或いはそうなのかもしれませんね」

ロシア語といえばアキロヴィチから教わった「スパシーバ(ありがとう)」と「ハラショー(いいね)」くらいしか思い出せない。

「しかしそもそも芸術とは実体の描写だけではなく、多くの場合は観念の表現媒体なのではありませんか?」

ショスタコーヴィチは額をハンカチで押さえながら言葉を続けた。半袖のシャツは汗でびっしょりと濡れている。

それに比べ、僕はここへ来た時のまま、セーターの上に羽織ったウールのポンチョすら脱がずにいるというのに、悪寒でも催しているのか、少し寒いくらいだった。

「もしも時間の流れを客観的に捉える事ができたとしたら過去とか未来といった概念も成立しますが、何事に於いても常に主観的な私たちが時間を超え、空間を超え、言語も飛び超えて、観念だけで意思の疎通が成立していることを容認せざるを得ない根拠を、人間の脳科学に依拠した理論に求めるのは不可能だとは思いませんか?」

僕はショスタコーヴィチの言葉を聞きながらぼんやりと窓の外に視線を移した。


 外堀通りがまっすぐ新橋駅まで伸びている。

その周囲を眺めているうちに妙なことに気がついた。

(おや?貿易センタービルしか見当たらないぞ?)

僕は景色を見回したが、南東の方角に浜松町の超高層ビルと、ほぼ真南に威容を誇る東京タワーが目に入った以外、建築物は全て低層ビルのみである。

それは紛れもなく1970年代の、僕の記憶の中にある東京の景色だった。


 そもそも僕たちが「今」を「生きている」と信じているこの世界自体が、もっと壮大な舞台の片隅で忘れ去られた、ほんの記憶の一部に過ぎないという仮定を誰が否定し得るであろう?

 

 レインボーブリッジも高層ビルも、飛行には何も障害物がない羽田空港周辺の上空には、離着陸するたくさんの飛行機がキラキラと美しく光って見えた。


第8話へ続く