だっこちゃんと宇宙船アポロ(8)


 1961年、ボストークに乗って人類で初めて宇宙への旅をしたユーリィ・ガガーリンは大気圏外に飛び出すと、自分を元気づけるために「祖国は聞いている」(エフゲニー・ドルマトフスキー作詞、ドミートリィ・ショスタコーヴィチ作曲)を歌ったそうである。

つまり、人類史上初めて宇宙で歌われた音楽は、ショスタコーヴィチの作品だったわけである。


 ガガーリンは帰還した後の歓迎パーティでロシア正教のモスクワ総主教アレクシー1世に、こう尋ねられた。

「宇宙では、神が見えましたか?」

ガガーリンは「いえ、残念な事に、見えませんでした」と答えた。

主教は「息子よ、この事は自分の胸にだけにしまっておくように」

と言った。

しばらくしてガガーリンはフルシチョフにまったく同じことを尋ねられた。

主教との約束を思い出したガガーリンは、

「はい、見えました」と答えた。

フルシチョフは「同志よ、この事は自分の胸だけにしまっておくように」

と言った。

レーニンは宗教を否定していたからである。


***


 日本の首都では、唯一戦前から開通している地下鉄銀座線を足下に抱いた大通りは、思っていたよりも交通量が少なかった。1973年の日本の自動車生産台数は700万台超で、1955年から比べると実に100倍という爆発的な増加を辿っていたが、当時の一般家庭において自家用車はまだまだ高値の華であった。


「子どもの頃、父にせがんで映画を観に連れて行ってもらったんです」

僕は眼下の景色に釘付けになったまま勝手に自分の話をはじめた。

「確かあの辺り、有楽町です。観たのは『帰っておいでスヌーピー』という作品で、映画館に入ったのはその時が初めてでした。父は仕事が忙しくて、普段あまり顔を合わせませんでしたし、たまの休みといえば昼でも寝ていましたから・・・まるで死んだように」

「お仕事が相当に忙しかったのでしょうね」

「下っ端の役人でしたから国会に振り回されて、年中書類の作成に追われる毎日だったようです。そんな事など全く知らなかった僕は、山へ連れて行け、映画館へ連れて行け、などと必死にせがんだわけです。父は時々、疲れた身体を押して僕たちを箱根の山々や都心部などへ遊びに連れて行ってくれました」

ショスタコーヴィチは黙って僕の話を聞いていた。

「映画の帰りに、父は僕に『何か食べて帰ろうか。寿司がいいか、ラーメンがいいか?』って尋ねたんです」

「お父様と二人っきりで外食ですか」

「はい。たぶん、それもその時が初めてだったと思います。で、僕は『寿司もいいな』と答えました」

「『寿司 ”も” 』とはどういう意味ですか?」

「恐らく父は最初ラーメンを食べに行くつもりだったのだと思います。でも、たまの休みに息子と二人で映画に出掛けたので、そんな台詞を言ってみたかったのではないでしょうか?しかし、寿司の方が遥かに高いということを知っていた僕は、 ”寿司が” とは言えなくて、 咄嗟に”寿司も” と言い替えてしまったのです」

「なるほど。親に遠慮したというわけですね」

「ええ。でも、寿司屋からの帰り道で、父から『美味しかったか?』と訊かれた僕は、『まあまあだね』と答えてしまったのです」

「美味しくなかったのですか?」

「いえ、とんでもなく美味しかったです。でも、あの時はそう言ってみたかったのです。その方が大人っぽいじゃないですか」

「なかなか歪んでらっしゃいますね。あなたは」

「ええ、自覚はあります」


 有楽町の華やかな人通りを歩き慣れたようにどんどん進んで行く父の背中。興味深々に派手な看板や行き交う人々を見上げながらそれを追う僕。ガード下の飲食街、その上をひっきりなしに通り過ぎるカラフルな国電たち。劇場に入った時、『帰っておいでスヌーピー』は既に上映中だった。途中入場した僕たち親子は、後ろの方の空いている席にそっと座った。そして父は着席するや否や鼾をかいて寝入ってしまった。

 当時の映画館は入れ替え制ではなかったので、続けて何度でも見ることができた。

そして、もう一度冒頭のタイトル・ロールからゆっくり映画を楽しんでいた時のことである。完全に深い眠りに落ちていた筈の父は、まるでタイマーをセットしていたかのように、入場した時に流れていたシーンの辺りで、突然むくっと起きて「一周したか?」と僕に尋ねた。

僕がこっくりと頷くと、父は「そうか、出るぞ」と言って立ち上がった。

 子どもながらに、僕は父の行動に驚嘆した。たとえフィルム作品と言えども、中座するなど思いもよらなかった。しかし、僕は何も言わずに父に従った。そういう振る舞いは大人の仕来りであるのかも知れぬ、と思ったのだ。そして、そのあとの寿司屋での「まあまあだね」の一件も、同じく子どもの背伸びだったのである。


「つまり僕は、かわいくない子どもだったわけです」

「素敵なお父様じゃないですか」

「ええ、まあ。しかし父は僕が音楽の道に進む事にはあまり関心がありませんでした。父は表向きは他人と同調することを好みます。役人体質というのでしょうか・・・目立つことを嫌います。だから、僕が音楽をやって目立つことに抵抗があったのではないでしょうか」

「周囲との和を大切にしている、平和主義者なのですね。それはとても大切なことです」

「はい、それはわかっています。でも僕の父には黄色い車を買う勇気すらありません」

「黄色い車?」

「はい、日本では皆が白や灰色や黒の車を買います。赤や青も時折走っていますが比率から見ればとても少ない。黄色はとても珍しいです」

「確かに黄色は目立ちますからね。でも単にお父様の好みでなかっただけなのではないでしょうか?」

ショスタコーヴィチは笑い混じりに言った。

「いえ、好みは関係ありません。父は『人に頭がおかしいと思われるから』と言います。自分の好き嫌いではなく、周りを見て決めるのです。この国ではそうしないとうまく生きていけないのです」

「周囲に同調する傾向はソ連でも同じですね。協調しあって生きているとも言えますが、自分が集団の中で異端になる事を恐れているのです。まあ、私の国ではそれが生命の危機に繋がるわけですからね」

「ドミトリィ・ドミートリエヴィチ、あなたは西側に行こうとは思わなかったのですか?」

「西ですって?何故私が人間や芸術を金銭的価値で天秤にかけるような人間で溢れかえった国へ行かねばならないのでしょう?それに私はロシアを愛しています。祖国の大地や家族と離れるなど、まったく考えも及ばないことです」

「しかし、西へ行けば自由が手に入るではありませんか」

「自由ですって?あなたにとっての自由とは何ですか?」

「表現の自由、言論の自由、それに自分の裁量で物を売り買いする経済の自由もあります」

「なるほど。それでは、あなたは独自の表現と呼べるだけの芸術観をお持ちなのですか?そして、それを支えるだけの自分の哲学がおありですか?」

「えっ?いえ、その・・・」

「『自由に発言する』と言いながらなんとなく人と話を合わせ、オートマティックに同調して流されながら生きていませんか?思想とは、自分で考えて答を導き出したものです。他人の受け売りではないと信じつつ、実はマスメディアに思想をコントロールされている事にすら気がついていない、という事はありませんか?黄色の車に乗るのは勇気が要ることなのに、黄色の車が流行したら何の躊躇もなく皆がそれを購入する、西とはそういう社会なのです」


 僕はショスタコーヴィチを直視できなくなり、虎ノ門交差点を通り過ぎる車を眺めながら話を聞いていた。この時代の自家用車はどれもボディがキュービックだ。もちろん、黄色の車なんてどこにも走っていなかった。

ショスタコーヴィチは続けた。

「お金儲けができる自由などというものは、あなたが暮らす流通システムが作り出した幻想に過ぎません。自由経済などと言いながら、地球全体を見渡せば圧倒的に多い経済的弱者から搾取するのが資本主義です。地球上で経済の自由を手にすることが可能なのは、この世界のほんの一部の人間だけであって、その他のほとんどの人間は選択の自由はおろか、今日を生きることすら難しいのが現実なのです。地球上に存在するパイの数は決まっていて、誰かがたくさん食べれば誰かが飢えるようになっているし、そんな理屈は今や小学生でも知っていることです。我々はそういった考え方を『帝国主義』と呼んでいます」


 それは確かにそうだ。“弱肉強食” という言い方が一番近いのだろうか?しかし、強い者だけが生き残れるサバンナの生態系の理論とは何かが違うような気がする。


「それに、食べ物や買うものを自由に選択できる、などと考えているとしたらそれも疑問です。あなたが普段購入している食べ物は本当に食べたいと思っている物ですか?実は生産や流通に都合の良い悪質な製品を、知らず知らずの内に選ばされてはいませんか?経済戦略に乗せられて、本来は必要の無い物に高い金を払わされてはいませんか?」


 確かに「今日は安いから買わなければ損」とばかりに周囲の皆と一緒に、スーパーで大量に仕入れられた特売のブロイラーを購入した時、「買わされている」と感じたことがある。ほかにも、単に流行しているというだけで必要かどうかわからない似たり寄ったりの商品をどちらが得か比較してみたり、まだまだ使えるパソコンや携帯電話を ”機能” や ”速度” を理由に買い換えたりするのは決して自分の意志などではない。


「ロシアは貧しいけれど食事は美味しいですよ。とても質素ですがね。自然も美しいし、人間本来の営みがあります・・・いいですか、資本主義社会の本当の恐ろしさを自覚しなさい。あなたは確かに処刑される危険がないかもしれないし、食べることに困っていないかもしれませんが、精神を奪われてはいませんか?」

僕はショスタコーヴィチの質問には答えることができなかった。

(本当の自由とは何か、僕にはまだ理解できていないようだ・・・)


「僕は子どもの頃からソヴィエトという国を、何か異質な国のように思っていました。多くの人が苦しみ、亡命したがっていると誤解していました」

通りを眺めるのを止めてこう切り出した僕に、ショスタコーヴィチは穏やかに答えた。

「そうですね。確かに貧困は重大な問題であったし、スターリンの圧政に多くの国民が苦しんだのは事実です。しかしロシア人はみな純粋に、この美しい国を愛しています。それでも自分の生命に危機が迫ったとあれば、身を守るために泣く泣く国境を越えて行く人が居るのも当然です。特に思想弾圧された芸術家は、それだけで自らの存在意義を失ってしまいますからね」

「幸い僕は戦争も弾圧もない社会に生まれてきました。しかし、僕には特に守るべき思想が無いのです。世の中には自分の信念を命がけで守りながら創作をしたり、革命を起こしたりする者が居るというのに、何の思想もない僕が、のうのうと暮らしている」

「あなたのように自分を慰めたり陶酔したりする人の言葉には何の意味もありませんね。幸せな生活に罪悪感を覚えるなど、ナンセンスです。『自分は世の中のことを考えている』と勘違いした偽善者でしかありません。もし真剣にそう考えているなら、あなたは何も買わなければ良いし、食べなければ良い。日本政府を倒して世界が平和になるように革命運動でも起こしては如何でしょう?」

「以前、人にそう言われたことがあります。でもそれは・・・無理です。僕にはできません」

「では、きれい事はおっしゃらない方が良いですね。思想は努力して生まれるものではありません」

 

 やり場に困って挙動不審になる僕の視線をまっすぐに捉え、ショスタコーヴィチは淡々と話を続けた。

「私や私と同時代の同胞たち・・・そう、ゾーシチェンコやマヤコフスキーやメイエルホリドは、弾圧される時代だったからこそ、逆に自分の思想を貫く必要があったのです。人は、はじめから命をかけて哲学をするのではありません。生命の危機と隣合わせだからこそ、思想を貫こうと尊厳を持つのです。武器を持って立ち上がらなければ餓死する農奴と同じです。それがプロレタリアートです」

今度はショスタコーヴィチが眼下の景色を眺めている。

「芸術や思想を次の世代に繋ぐこともまた、創造的な仕事の一部です。そういった人々の努力がなければ、大切なものは忘れ去られる危険があるのです。もちろん、あなたも協力して頂けますよね?」

僕は頷いた。

ショスタコーヴィチの言いたいことは、だいたい理解できていた。

「誤解のないように言っておきますが、相手を論破するのではなく、理解してもらうのですよ。協調性とは自分の考えを押し殺すという意味ではありません。しかし、逆に相手を無理矢理論駁しようとすることも間違っています。第一、最初から理解する気のない人に多くの言葉を使って納得させることは骨が折れるばかりです」

「しかし、相手が間違っているのであれば、真実を教えなければならないのではないでしょうか?」

「では、もしも相手も同じことを考えていたとしたらどうでしょうか?結局同じことなのですよ。

本当に真実を見極めようと努力しているのならば、さほど多くを語り合う必要はないでしょう。むしろ、言葉を使わなくても済むかも知れません。言葉は既に共有している認識を分かち合う道具に過ぎないのです。使い方を間違えれば武器にもなる、言葉とはそういった恐ろしい要素も持ち合わせています。人の道を糺そうなどと思えば、結局あなたも同じことになります。誤った判断をしておられる方には、ご自身の力でその事に気付いて頂かなければなりません。しかし ”自分は間違っていない!” と相手に強要した途端、それは思想でも何でもなくなります。それはただのエゴであり、独裁に繋がるものです。プロレタリアとも民主主義とも、かけはなれたものなのです。自分の主張をはっきり述べることは悪いことではありません。しかし、相手を論破し、打ちのめす事が目的となった時には、それが暴力へと変化するのです。あらゆる暴力はやがて殺人となり、戦争や弾圧を引き起こします」


 確かに、戦争とは僕が思っていたよりも身近なものかも知れない。その種は僕たちの周りに日常的に存在しているのだ。


「いいですか、間違っても一度に全人類を救済しようなどと考えてはいけません。まずあなたの隣にいる大切な一人の人間を助けるよう努力しなさい。他の人を傷つけずに一人の人間を救うのは、とても困難な事です。だからこそ、全人類を同時に救済したいという誘惑に駆られるのです。しかし、その誘惑に乗ってしまうと必然的に、人類の幸福のために数億の人間を抹殺しなければならなくなるのです」

ショスタコーヴィチは少し高揚していた。だが、自分自身の状態に気がついた彼は、少し呼吸を整えるように一度背筋を伸ばし、天井を見てから話を続けた。

「スターリンという人は、実はとても臆病者でした。それでも皆、スターリンが怖かったのです。まあ、ユーディナは特別でしたが・・・彼女はわたしのペトログラード音楽院時代の同級生です。命知らずなのか、それとも頭がおかしかったのか、よくわかりませんがね・・・」


 マリア・ヴェニアミノヴナ・ユーディナはスターリンお気に入りのピアニストであった。

ある日、ラジオでユーディナが弾くモーツァルトのK.488を聞いたスターリンは側近に「あのレコードはあるか?」と訊ねた。

「もちろん、あります」と周囲の人間は答えたが、実はそのようなレコードは存在しなかった。

何故なら、ラジオに流れた演奏はスタジオからの生放送だったのである。しかし、狂人の犠牲になることを恐れた側近たちは即座にオーケストラのメンバーを集め、前代未聞の深夜の録音がはじまった。

ユーディナの証言によれば、事の重大さに気がついたオーケストラの楽員も指揮者も恐れおののき、録音は捗らなかった。

やっとまともに仕事を遂行できた3人目の指揮者によって、世界でただ一枚しかない独裁者専用のレコードは完成し、狂人の元へ送り届けられた。

ユーディナにはスターリンから2万ルーブルの特別報酬が送られたが、これに対してユーディナは、

「あなたのご援助に感謝します。そしてあなたの罪をお許し頂けるよう神に祈ります。お金は教会に寄付いたします」という意の手紙を狂人に送ったということだ。

これがもし他の者であったら、数日中に銃殺は免れなかっただろう。しかし、ユーディナの身には何も起こらなかった。


「スターリンが亡くなった時、ターンテーブルには例のレコードが載っていたそうです。狂人がこの世で最後に聴いた音楽は、ユーディナが弾くモーツァルトのK.488だったわけです」

 ショスタコーヴィチは、溜息をつくように話を括った。


***

 

 全ての人間は死に向かっている。

過去、偉大な作曲家の多くが音楽的には申し分の無い素晴らしい作品の中で、共通の同じ過ちを犯している。

死ねば全てが終わりなのである。

そこからは何も始まらないし、

「死後の世界」も「楽園」も存在しない。


「今」を生き抜く若者たちのために言っておかねばならない。

わたしたちは皆、生まれながらに死刑を宣告された囚人と同じなのだ。

たったひとりの例外もない。全ての人間がそうなのである。


 また「ゴールデンバット」を一本取り出そうとしたショスタコーヴィチを手で制した僕は、彼に素朴な疑問を投げかけた。

「ドミートリィ・ドミートリエヴィチ、芸術は人類を救えるでしょうか?」

タバコを取り出すことを諦めてショスタコーヴィチは語った。

「あなたは世の芸術家たちが何故、複雑で難解な内容の創作をするか、ご存知ですか?小説も、絵画も、音楽も、本来は美しいものを美しいと表現すればよいではありませんか。それは素直な心があれば誰にでも可能な筈です。しかし何故、職業芸術家のような者が出てきて、何を言いたいのか皆目見当のつかない小説だとか、何を描写しているのか想像もつかない絵画であるとか、騒音とも区別のつかない交響曲だとか、そんなものを創作するのでしょう?」

「新しいものを生み出す実験でしょうか?」

「もちろん、それも大切なことかもしれません。しかし実験だけの作品が、果たして芸術と言えるでしょうか?」

「そういう時代も必要だったのではないでしょうか?」

「ですがそれはもう終わりました。いいですか、こういった一般人には一見『難解』と思える創作でも、才能のある人間によって創られた作品には必ず必然性があるのです。一般の方がそれを理解するには時間がかかります。しかし、むしろ時間がかかった方が良いのです。何故だかわかりますか?」

「時間がかかった方が良い・・・何故でしょうか?」

「暇にならないようにするためですよ。そうでないと、死の恐怖が襲ってくるではありませんか。生きている間は、むしろ悩んでいる方が幸せなのです」そう言って、ショスタコーヴィチは僕の隙をついてタバコに火をつけた。

「わたしはこの国で起こってきたこと、そして、それらのことに対してわたしがどのような思いで創作活動を続けてきたか、洗いざらい記録に残す必要があります。無念にも倒れていった同胞たちのためにも、そしてわたしが生きた証として」

「はい」

「当然、これはひとりやふたりで成し遂げられる仕事ではありません。何人もで分担してプロジェクトを成功させなければなりません。原稿を起こす人間だけでなく、それをソ連の国外に安全に運び出してくれる人も必要です」

「しかし、実際に検閲をすり抜ける事など可能なのでしょうか?」

「もちろん、いろいろと策を練らなければなりませんが、生粋のソ連人が持ち出すのは難しいでしょうね。当局に目をつけられている人物ならなおさらです。おそらくその、ヴォルコフさんという方にも不可能でしょう。となると、現在ソ連に滞在している外国人の協力が得られるといいですね。ただし、信頼できる人を探し出すのは難しいでしょう。情報を売られてしまったら全てが終わりですからね」

そのような都合の良い人材を見つけることは不可能に思えた。

「ところで、あなたはその本を読んだのですよね?」

「はい」

「よろしい、では多くを語る必要はありません、あなたは選ばれたのです。わたしの目的を遂行するプロジェクトの一員として」

「ドミートリィ・ドミートリエヴィチ、果たして僕にその器があるでしょうか?」

「音楽は才能があるからやる、才能が無いからやらない、というものではありません。突き動かされるものなのです。違いますか?」

「え、ええ・・・」

ショスタコーヴィチはタバコの火を消し、再び東京を見下ろしながら僕に尋ねた。

「ところで、ひとつ教えて頂きたいのですが」

「はい、僕に解ることでしたら何でも」

「ゼニト・レニングラードはソ連リーグで優勝しましたか?」

「・・・ドミートリィ・ドミートリエヴィチ、残念ながら僕はサッカーには興味がありません。もちろん、調べようと思えば、すぐに調べられますが、それはできません。過去の記憶を掘り返す事は出口の見えない迷路に入り込むようなものです」

ショスタコーヴィチは眉間に皺をよせ、苦そうに下唇を噛んだ。

「あなたは意外とケチですね」

「学習しただけです」

「さあ、もう行きますよ」

そう言ってショスタコーヴィチは立ち上がった。


***


 僕たちはホールまでやって来た。

ショスタコーヴィチはエレベーターの「下り」ボタンを押した。

「おそらく、近いうちに『死』について取り扱った大作を書くことになるでしょう。コントラバスが活躍しますよ、きっと。この楽器はこのテーマを表現する時にとても役立ってくれる筈です」

(本当は、僕があなたから ”ドミートリィ・ショスタコーヴィチの交響曲の中で最高傑作は?” と質問された時、最初にその曲を思い浮かべたのです。でも流石にそれを口にすることはできなかった・・・)


“チーン” と鳴ってエレベーターの扉が開いた。

「さあ、早く乗りなさい」

ショスタコーヴィチは僕の背中を押した。

僕は咄嗟に、不意に頭に浮かんだ名前を口にした。

「モスクワ放送に岡田嘉子さんという日本人アナウンサーがいる筈です」

ショスタコーヴィチは出会った時には見せなかったような笑顔で答えた。

「ありがとう、それはとても重要な情報となるのでしょうね」

ゴンドラの中と外。

エレベーターの扉は二人を元の世界へ戻そうと動き出した。

「ドミートリエヴィチ、あなたはどこへ?」

笑顔で手を挙げるショスタコーヴィチの残像が僕の網膜に映し出された。

僕はとっさにガチャガチャと「開」ボタンを押したが、もう遅かった。

僕とショスタコーヴィチは既に違う次元に引き離されてしまったのだ。

「ドミートリィ・ドミートリエヴィチ!」

エレベーターは動き出した。僕はドアをバンバン叩いた。

「ドミートリエヴィチ‼︎

途端に涙が溢れてきた。

(何故だろう?)

涙は頬をつたって顎まで濡らし、ズボンにポタポタと落ちた。

「待ってください!ドミートリエヴィチ!待って!」

僕は立っていられなくなってその場にしゃがみ込んだ。

「ドミートリエヴィチ・・・」

赤ん坊がダダを捏ねるように僕は喚き続けた。

鼻水がダラダラと流れ、口に入ってきた。

その口からは涎が垂れていて、もはやどちらとも区別がつかなくなっていた。

身体じゅうの水分が全て無くなるのではないかと思えるほど、穴から流れ出る液体は止まらなかった。

僕はメイエルホリドのようにその場に崩れ落ちた。


 ふと気がつくと、その間ずっと降り続けていたエレベーターは、どんどんその速度を増しているようだった。

もうとっくにビルの地下二階など通り過ぎている筈である。

それでも止まるどころか、ますます速度を上げていくゴンドラ。

「うわーーーーっ!」

あまりの加速に叫び声をあげると同時に、僕はふわっと宙に舞い上がった。もはやゴンドラのドアも壁も無くなっており、周囲は何もない暗黒である。


 ふと無重力の中から、かすかに低音の ”C” の音が、ある一定のリズムで反復するのが聞こえてきた。

それは三拍子の頭拍を休符として、二拍目と三拍目を「ン・ドッ・ドッ、ン・ドッ・ドッ」と繰り返していて、まるで横たわった身体から静かに生命の律動が消えゆくことを暗示しているようであった。

そう言えば、それに対してチェレスタの何かを問いかけるように発するシグナルが、先程から何度も続いている。

時折、誰かが昔の記憶の断片でそれに応えている。

 

(ああ、これはショスタコーヴィチの交響曲第4番の最後の部分だ!それにしても何故、今この曲が聞こえて来たのだろう?)

 

 次第に断続的になったリズムはとうとう消えてしまい、ただのハ短調の主和音の灯火に対して生命反応を確認するかのようにチェレスタが2回だけ語りかけたが、もはや応える者は誰も居なかった。

 

(人間の最期の瞬間とは、こんな感じなのかもしれないな・・・ん?ちょっと待てよ・・・ああ、なんということだ!そういうことだったのか!)

 

 その瞬間、僕は全てを理解した。

ショスタコーヴィチを逃がした死神は今、僕の腕を掴もうとしていた。

手形は譲渡されたのだ・・・

 

(ああ、ドミートリエヴィチ!あなたの認識は間違っていた。僕はあなたのプロジェクトに選ばれたわけではなかったのです!)

 

 

 チェレスタは諦めたように長6度の ”A” を発し、更に別の次元に向かうかのように長9度の ”D” 音を放って、その瞬きを辞めた。


最終話に続く