1960年(54歳)
弦楽四重奏曲第7番、第8番
サーシャ・チョールヌイの詩による歌曲連作「諷刺」
1961年(55歳)
交響曲第12番
1962年(56歳)
ソ連邦最高会議代議員に選出される(~75)。
交響曲第13番(エフトゥシェンコの詩にもとづく、合唱付)
ムソルグスキイの連作歌曲「死の歌と踊り」オーケストラ編曲。
1963年(57歳)
ユネスコ国際音楽評議会名誉会員になる。
オペラ「カテリーナ・イズマイロワ」(ムツェンスク郡のマクベス夫人の改作)
「ロシアとキルギスの民謡の主題による序曲」
映画「ハムレット」(監督コジンツェフ)の音楽(~64)
1964 年(58歳)
ソ連邦国家賞受賞。
弦楽四重奏曲第9番、第10番。
エフトゥシェンコの詩にもとづく交響詩「ステパン・ラージン」(合唱つき)
1965年(59歳)
ソ連邦音楽名誉博士。
セルビア芸術アカデミー名誉会員。
歌曲「5つのロマンス」
[写真:昭和40年 著者、姉と共に]
1966年(60歳)
レーニン勲章受賞。
社会主義労働英雄の称号を受ける。
ユネスコ国際音楽評議会会員。
イギリス王立フィルハーモ二ー協会金賞。
弦楽四重奏曲第11番。
バスとピアノのための歌曲「わたしの全作品集のための序文とその序文への短い黙想」
チェロ協奏曲第2番。
[写真:昭和41年 絵本の演奏を試みる著者]
1967年(61歳)
ブロークの詩によるソプラノ、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための「7つのロマンス」
ヴァイオリン協奏曲第2番。
[写真:昭和42年 横浜ドリームランド 著者、姉と共に]
1968年(62歳)
ババリア芸術アカデミー通信会員に選出される。
弦楽四重奏曲第12番。
[写真:昭和43年 上野公園 著者、姉と共に]
1969年(63歳)
ウィーン・モーツァルト協会よりモーツァルト記念メダル受賞。
交響曲第14番「死者の歌」
[写真:昭和44年 長瀞(埼玉)著者、姉と共に]
1970年(64歳)
フィンランド作曲家協会名誉会員。
ドルマトフスキイの詩による男声合唱曲「忠誠」
ロシア共和国国家賞。
映画「リア王」の音楽(監督:コジンツェフ)
弦楽四重奏曲第13番。
吹奏楽曲「ソヴィエト民警の行進曲」
[写真:昭和45年 大阪万国博覧会 著者、姉と共に]
1971年(65歳)
十月革命勲章受賞。
交響曲第15番。
[写真:昭和46年 東京国際空港 著者、姉・従姉妹・祖母と共に]
1972年(66歳)
「諸国民の友好の巨星」金賞(東独)受賞。
聖トリニティ大学(ダブリン)名誉音楽博士となる。
[写真:昭和47年 大涌谷から富士を望む 著者、母・姉と共に]
1973年(67歳)
ロシア共和国国家賞受賞。
弦楽四重奏曲第14番。
アルトとピアノのためのツヴェターエフの詩による「6つの詩」
[写真:昭和48年 自宅アパートのベランダにて 著者]
1974年(68歳)
弦楽四重奏曲第15番。
ミケランジェロ・ブオナロツナの詩によるバスとピアノのための組曲。
[写真:昭和49年 自宅アパート前にて 著者、姉と共に]
1975年(69歳)
フランス芸術アカデミーの名誉会員となる。
バスとピアノのためのレビャードキン(ドストエフスキー「悪霊」より)の「4つの詩」
ヴィオラソナタ。
8月9日逝去。
[写真:昭和50年 横須賀にて 著者、マサオ君と共に]