だっこちゃんと宇宙船アポロ(9)
暗黒の奈落へ落ちてゆくようなMorendo・・・
弓が弦から離れ、音が消えゆくその瞬間は、まるで身体が宙に浮くような感覚である。
オーケストラ全体が凍りつくほどの静寂、それは一切の動きも雑音も拒否し、拍手をするなど考えられないほどであった。
こんな時は楽員も、舞台の役者も、観客も、そして指揮を執っていたマエストロでさえも、金縛りに遭ったようにその場にじっと静止している。
「ブラーヴォ!」「ブラーヴォ!」
突如、沈黙を破って方々から歓声が飛んだ。
続いて劇場全体に割れるような万雷の拍手が沸き起こる。
演出上、全消灯していた緑色の避難誘導灯にも、オーケストラピットの譜面灯にも明かりが戻ってきた。
そして、大歓声に応えて幕が開く・・・カーテンコールが始まったのである。
緞帳が開くと、舞台の最後列にソ連軍の兵士が銃を持ってずらりと整列していた。
(ん?そんなシーンあったかな?)
そして舞台袖からは、一人づつ順番にソリストが登場する。
最初はフルシチョフ、続いてケネディ、そしてドゴール。聴衆に応えてうやうやしくお辞儀をしたソリストたちは下手に向かって次の役者を手招きする。
ガガーリンはライカを抱いてゆっくりと手を振りながら出てきた。
ひとり、そしてまたひとり舞台に姿を見せるたびに、客席からはひときわ大きな歓声があがり、拍手は耳が痛くなるほど劇場全体に轟き渡っていた。
続いて舞台に姿を見せたのはピアニストのユーディナ、その後にゾーシチェンコ、マヤコフスキー、メイエルホリドが続く・・・
ああ、なんということだ、美しい妻のジナイーダ・ライフは煌びやかなシルクのドレスで着飾っているにもかかわらず、目にナイフが突き刺さったままの登場である。
ドレスに飛び散った血痕から、当時の現場がどれほど凄惨なものであったかがよくわかる。それでもライフは、客席に向かって盛んに笑顔で応えている。
続いて、ライフに引けを取らない装いで、20代そこそこの岡田嘉子が優しい表情で登場した。
嘉子さんはドレスの裾を持ち、ゆっくりとお辞儀をして会場に投げキッスを送った。
客席の男性たちからは狂気とも思えるほどのエールが送られた。
「ブラーヴァ!」「ブラーヴァ!」
もちろん、それに続いて登場したのは杉本良吉であるが、やはり華麗な嘉子さんのあとでは、若干盛り上がりに欠けるのは否めない。
(それにしても年齢関係が滅茶苦茶だな・・・)
そのことに何となく気づきながらも、僕はいつものようにオーケストラ・ピットから舞台を見上げて、順番に登場するソリストたちに拍手を送っていた。
カーテン・コールでの聴衆の反応は、その公演の成果が如実に反映される。
どんなに大変な公演であっても、この時間だけは疲れを忘れる至福のひと時なのである。
しかし次の瞬間、僕は突然我に返った。
何故なら続いて舞台へ登場したのは、なんと自殺したはずのミツヒロだったのだ。
(何故だ?ミツヒロ!どうしてお前はそこに居るのだ!・・・)
言葉を失って呆然としている僕をよそに、カーテン・コールのセレモニーは主賓の登場とともに、いよいよ頂点を迎えた。
そう、遂にドミートリィ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチが舞台に姿を現したのだ。
もはや、観衆の歓声は「ウォー」という絶叫の束になっていた。
両手を振って笑顔で観客に応えるショスタコービッチ。
(ドミートリィ・ドミートリエヴィチ!そうだ、僕は何を呑気に拍手なんかしているのだ。今はそれどころではない!)
ショスタコービッチはソリスト達と一列に手を繋いで舞台中央、ピットの崖っ淵まで歩いて出てきた。
「ドミートリエヴィチ!大変なんです!僕は・・・」
必死に何かを言おうとしたが、僕の声は歓声の渦に飲み込まれてショスタコーヴィチに全く届かない。
ショスタコーヴィチは客席一階の中央の辺りを指差した。
ひとりの男性が立ち上がって挨拶をしているのが見えるが、僕の場所からは遠くて顔まではわからない。
「ソロモン・ヴォルコフだね」
ピットの中で誰かが言った。
(ヴォルコフさん・・・いけない、このままだと僕はドミートリィエヴィチに気がついてもらえないんじゃないか?何だかよくわからないけど、このままではマズい事態になるような気がする・・・)
僕が焦ったその時、驚いた事にショスタコーヴィチは真っ直ぐにオーケストラ・ピットにいる僕を指差した。
「えっ?」
その途端、僕は客席から物凄い注目を浴びているのがわかった。
僕は何十年もオーケストラで弾いているが、こんな経験は初めてだ。
気がつくと、ピットの中にいる仲間たちも僕に向かって盛んに拍手を送ってくれている。
そして、客席からも僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「イデハラ~!」「イデハラ~!」
何故だかわからないが、皆が僕に向かって歓声をあげている。
「ブラーヴォ!イデハラ!」
やがて激しくなってきたコールは一定のリズムを持って繰り返された。
「イ・デ・ハ・ラ!イ・デ・ハ・ラ!」
あまりのコールの大きさに、僕はピットを出て舞台に上がらなければならなくなってしまった。
舞台に上がると、真っ先にショスタコーヴィチが笑顔で迎えてくれた。
「ブラーヴォ、イデハラ!」
(いや、これは逆に助かったかも知れない!)
僕はチャンスとばかりにショスタコーヴィチに駆け寄り、握手をしながら彼に耳打ちした。
「ドミートリィ・ドミートリエヴィチ!違います、違ったんです!僕は選ばれたりしたのではありません、僕は・・・」
「ハラショー!ハラショー!」
ショスタコーヴィチはそう言いながら、満足そうにうなずいている。
「お願いです、助けてください!ドミートリエヴィチ!」
僕がそう叫ぶと、彼は不思議そうに首を少し傾けた。
(駄目だ。言葉が全く通じていない。何故だ?ああ、ドミートリィ・ドミートリエヴィチ!僕はもう、あなたと観念の中で会話することは許されないのでしょうか?・・・)
「ドミートリー・・・」
僕はもう一度必死にマエストロの名を叫ぼうとしたが、舞台上の他の出演者たちがそれを遮った。
「ブラーヴォ、イデハラ!」
僕をぐるりと取り囲んだ他の出演者たちに促されて客席の方を向くと満場の観客は既にスタンディング・オベーションとなっている。
「イ・デ・ハ・ラ!イ・デ・ハ・ラ!」
「・・・ありがとう!ありがとう!みんな、どうもありがとう!」
僕は何度も何度も、客席に向かって深くお辞儀をしなければならなかった。
顔を上げる度に、僕は客席の中に少しづつ見覚えのある顔を発見した。
まず、父と母と姉。
(そうか・・・珍しいな、来てくれてたんだ・・・)
そしてタカシ君、マサオ君、T子ちゃん、イモちゃん、K教諭、ボンペイ先生・・・それに、僕が今まで教えてきた子たちの顔も見える。
おや・・・!?
この時になって、ようやく僕は理解した。
舞台と客席が隔てているものが何なのかを。いま。
(そうだ、舞台に立っているのは既に死んでしまっている人たちだけなのだ)
それまで手を上げて歓声に応えていた僕だったが、そのことに気がついた瞬間、客席からの音声が次第に変化し始めたのを感じとった。
リズムを伴っていたコールはまるでフランジャーをかけたようにうねり、次第に歪み、崩れていった。
やがて別のチャンネルからオーバーラップするように、まったく違うリズムと音声が聞こえ始めた。
「か・え・せ!か・え・せ!」
(ああ、これは・・・‼︎)
「北方領土を返せ~」
「ソ連は日本から出て行け~」
「か・え・せ!か・え・せ!」
在日ソ連領事館を取り囲んだ団体の声が恐ろしい束となって会場に響き渡った。
あまりの凄い音量に圧倒されていたその時、ピットのオーケストラが勇壮に「宇宙戦艦ヤマト」の演奏を始めた。
どこにスタンバイしていたのか合唱団が花道まで出てきて横一列に並び、安っぽいPAを通した声で歌い始めた。
「さらば~地球よ~旅立つ船は~」
マイクを握って歌う男性コーラスの中に例のカラオケ販売会社の「部長」と「課長」と「係長」を見つけた時は、さすがに失笑を禁じ得なかった。
ピットの中の指揮台ではNマエストロが精悍な表情で真剣に棒を振っている。
(そうか、ここはびわ湖ホールだったのか・・・)
僕は思わず悪寒をおぼえた。
この劇場の時間と空間は、全てが矛盾だらけだ。
その時、異常な殺気を感じた僕はハッとして振り返った。
すると、そこにはなんと整列したソ連軍の兵士たちが僕に銃口を向けて並んでいるではないか!
ショスタコーヴィチもメイエルホリド夫妻も、嘉子さんも、みんなどこかへ姿を消してしまっている。
舞台後部に設置された超大型スクリーンにはモノクロの映像が映し出されており、そこにはアップになったスターリンの顔が浮かび上がっていた。
「形式主義者を粛清せよ!」
「おーーーーっ!」
(そうか、死神とは奴のことだったというわけか)
僕は後ろに回り込んできた二人のソ連兵に腕を掴まれた。
「放してくれよ!冤罪だ。おい、放せってば!」
客席では狂喜した観衆が盛んに口笛を鳴らし、野次を飛ばしている。やがて物を投げてよこす者も出はじめた。
(まだ死にたくない!助けてくれ!)
僕は後ろ手にロープで縛られた。
(おい!よせよ!やめろよ!)
心の中では、はっきりとそう叫んでいるのに全く声が出ない・・・
すると、まるで僕の心の声が聞こえたように客席の観衆がどっと笑った。
(何故だ?何故笑ったんだ?・・・僕の声は聞こえていないはずなのに!)
やがて観客は遠い昔に聞き覚えのある調子で、僕の心を読み取ったように叫び始めた。
「よ・せ・よ~! や・め・ろ・よ~!」
(これは・・・転校した先の小学校で嘲笑された時と同じリズムだ!)
そのコールは次第にテンポを速めていった。
「よ・せ・よ! や・め・ろ・よ!」
スクリーンの中のスターリンも大きな声を上げた。
「自己批判しろ!」
「たすけてくれーーーーーー!」
やっとの思いで声を張り上げた僕は必死にソ連兵の手を振り払ってピットに飛び降りた。
「撃てー‼︎」
それとほぼ同時に、無数の銃声が背後で炸裂した。
***
僕の体は約60兆個の細胞からできている。
しかし、もちろんこの細胞たちは、僕が生まれてから死ぬまでずっと同一ではない。
僕が「いま」を生きていると信じるこの瞬間にも、細胞は次々と死に、そして同時に新たな萌芽を繰り返し続けているのである。
「実体」とは記憶を繋ぐ細胞が通り抜けるただの「容器」に過ぎず、「僕」だと思っている自分とは、次から次へと移り行く個体を受け渡す「橋」の役割を担っているだけに過ぎない。
では、実体というものはとどのつまり、全く中身のない空ケースでしかないのだろうか?
この疑問への回答は、細胞単体では何ひとつ成し得ないという事実を思い起こせば明白になる話である。実体を突き動かすには観念による礎が不可欠であることは、個人が自由を求めるときに、それを実現可能とする社会による根底からの支えが無ければ不可能な事と同じである。
「何をやってるんだ!急げ!」
オーケストラ・ピットの出口から不意に現れたアキロヴィチが僕のロープを解きながら叱咤した。
「あ?オマエ、いつの間に・・・?」
「今は説明している暇はない。とにかくエレベーターまで走れ。時間がない!」
そう言われて、僕は必死に走った。
幸い、びわ湖ホールの内部構造は知り尽くしている。
僕はピット裏から楽屋まで一気に走り過ぎて、運良く扉の開いていたエレベーターに飛び乗った。
「いいか、オレは一緒に乗ることはできない。一階に辿り着くまでに、ちゃんと降りるべき階を見極めて降りるんだぞ!」
アキロヴィチがそう言うと、扉はすぐに閉じた。
(降りるべき階だって?何を言ってるんだよ、一階じゃ駄目ってことか?わけがわからんぞ、アキロヴィチ!・・・)
とにかく片っ端からドアを開けて状況を見極めること以外に方法を思いつかなかった僕は、とにかく操作盤にある全ての階のボタンを押した。
エレベーターはゆっくりとした速度で動き出した。ほどなく最初の扉が開くと、外ではボンペイ先生と岡田嘉子さんが話をしているのが見えた。
(なんだって?どういうことだよ・・・)
「で、いでボンちゃんはどんな具合でしょうか?」
嘉子さんが言った。
ボンペイ先生は相変わらず渋い顔をしていたが、それでも僕たち児童には見せたことのない、何か憂いを湛えたような態度で答えた。
「・・・う~ん、微妙ですね。この先どうなるかは、本人の意思によって大きく変わると思います」
「ショスタコーヴィチ氏は特別な才能を求めていらっしゃったのではありません。ごく平凡な音楽家であっても、理解者となって世に広めてくれる人材が必要なのだと・・・」
「彼がそういった人間に育ってくれることを願っています。今はまだ、楽器に跨って遊ぶような鼻垂れ小僧でしかありませんが・・・」
僕は扉を閉じた。
(わかっているんです。自分次第だということは。しかし・・・そうか、嘉子さんが僕をボンペイ先生に繋いでくれた、そんな筋書きがあったのか。ありがとう、ドミートリエヴィチ。もしも、あなたが僕を誘ってくれたのであるのならば・・・)
よくわからないが、ここで降りる必要性は感じなかった。
次の階で扉が開くと、外には歌舞伎町の繁華街が広がっていた。
「不良」という言葉しか見つからないような悪ガキ・・・不遇の幼少期を過ごしたバイト先の友人と、さしたる理由もなく新宿をぶらついている時、僕は生まれて初めて職質を受けた。友人に対する大人の屈辱的かつ差別的な扱い・・・そこでは「西」社会の中で歪んだ、大都会の矛盾した理論が横行していた。
友人は乱暴に腕を掴む警察官に対して大きな声でひたすら怒鳴っていた。
「よせよ!やめろよ!俺が何をしたって言うんだよ!」
(確かに掃き溜めではあるけれど、僕にとって東京は故郷だ・・・)
いろんな思い出が交錯したけれど、今ここで降りるべきだとは思わなかった。
さらに次の階の扉が開いた時、外はあたり一面火の海だった。
それは、どう見ても今、僕たちが暮らしている社会の景色であるとは思えなかった。建物も人間も、何も見えない。ただ、激しい炎の中に時折ミサイルのような青白く、恐ろしく素早い火の玉が目の前を横切った。それがいつの時代で、どこなのかは全く判断がつかなかった。ただ、時間や場所がどうであろうと、僕自身からそれほど遠く離れていない記憶の断片であるような気がした。
熱風が火の玉のように僕の顔面を襲ってきた。
僕は急いで扉を閉めた。
それから、僕は幾度となく開いた扉を閉じていった。
そして幾つ目だろう、開いた扉の向こうに僕自身とショスタコーヴィチが話しているのを見つけた。
これは・・・明らかに僕の知っている場面だ。
ショスタコーヴィチがボーイを呼ぶ。
「君、紙巻きタバコはあるかね?」
「こちらに置いてあるタバコは全て紙巻タバコですが」
(あいつだ!この時だ!)
あいつが死神に違いない。ならば、この場をなんとかするしかあるまい。
僕はエレベーターから飛び出した。
だが、たった今までここに居た筈のボーイの姿が見当たらない。
(そうか、ここでボーイはタバコを取りに戻ったんだ・・・とにかく、今しかないな)
と、思った次の瞬間のことである。
「何故、ここで降りようと思った?」
一歩踏み出そうとしたところで後ろから声がしてポン、と肩を叩かれた。
振り返った僕は仰天した。
そこに立っていたのは例のボーイであった。
問題は先ほどまでは確認できなかった、そいつの顔だ。
つまり僕は、30センチの至近距離に立っている男がスターリンであったことに驚愕したのだ。
僕の動揺には全く関知しない様子で、スターリンは冷たく言った。
「お前が今あそこへ出て行く事が一体どんな意味を持つのか、わかっているのだろうな?いでボン君」
僕は恐怖のあまり、完全に金縛り状態にあった。
「行け。始まりも終わりもない、永遠に続くリピート記号の中で彷徨いたいというのなら、出て行くがよい」
スターリンはニヤニヤと薄気味の悪い笑みを浮かべて僕にゴールデンバットを差し出した。
「たった今から、お前がボーイの役をやればよい。いやなに、代役なんて劇場ではよくあることだ。それが命運を分けることも珍しいことではない。決めるのはお前だ」
僕は突然現れたメフィストに恐れおののきながら尋ねた。
「もし、行かなければ?」
「無論、わたしはお前の腕を掴んで連れて行くだろう」
「それは、そのまま ”死” を意味するのですね?」
死神は頷いた。
「ただし、執行がいつになるかはわからぬ。今すぐ死刑になるのか、それとも3年後なのか、30年後なのか、それを今ここで答えるわけにはゆかぬ」
その台詞を聞いた途端、僕は何故か急に勇気が湧いてきた。
そして、自分でも驚くほど毅然とした態度で悪魔に言い返した。
「それは、誰でも同じことでしょう?いかなる人間も、いずれは死にゆく運命にある。死の恐怖を持たない人間など、この世には存在しない」
「ふははは!強がっていては後悔するぞ。さあ、行け。タバコを持ってあそこへ出て行け。そして、お前は永遠に同じ台本の同じ部分を繰り返し続けるのだ。何度も同じミスを犯し続けている自分自身にさえ全く気がつかずに」
「いや、僕にはまだ、やらなければならないことがあるのです」
「おまえは勘違いしている。誰もお前など必要としていないのだ。お前は勝手に自分の都合の良いように解釈しているだけの、哀れな間抜けだ」
いくら声を荒げても、もはや動じていない僕に対して、スターリンは苛立ちを隠せない様子である。
「たとえ勘違いだとしても、僕は続けなければならない。そう約束したのです」
「うるさい!やめろ!わたしに平伏すのだ!」
堪りかねてスターリンが怒鳴ると、その顔は見る見るうちに、まるで頭から硫酸を被ったように溶け始めた。
「その約束とやらがおまえの潜在意識が作り出した虚構だったとしてもか?」
しわがれて今にも消え入りそうな声が言い残せたのはそこまでだった。
やがて溶けた顔の下から別の顔が現れた。
それは、間違いなく僕自身の顔だった・・・
僕は、目の前にいるもう一人の僕に向かって言った。
「音楽は才能があるからやる、無いからやらない、そういうものではない。突き動かされるものだ」
もう一人の僕は、もはや何も言い返してこなかった。
と言うより、そもそも「僕」とは、「僕自身」のことなのか、対面したばかりのもう一人の「僕」のことなのか、もはや区別がつかなくなっていた。
言ってみれば鏡の中の自分をこちらから見るのと、向こうから見るのとでは一体どこがどう違うのか、区別のしようがない。
(そうだ、たとえ選ばれなかったとしても、それが何だというのだ。大事なのは僕が何を選ぶかだ!)
目の前にいるもう一人の自分に背を向けて、僕はエレベーターに向かって走った。
(すまん、アキロヴィチ!降りるべき階は、ここではなかった!)
エレベーターの扉は閉まり始めていた。
「待ってくれ!」
間一髪で中に転がり込むと、エレベーターはゆっくりと動き出した。
床にへたり込んだまま息を切らしていた僕だったが、しばらくして異変に気が付いた。
エレベーターは止まるはずの階をいくつも通り過ぎ、一向に止まる気配がなかった。
操作盤を見上げると、点灯しているのは「1F」のボタンだけだった。
(こうなったら望むところだ。たとえ、死神に取り憑かれたとしてもいい。いや結局、元々取り憑かれていたのだから!)
エレベーターは速度を保ったまま下降を続け、ほどなく僕を地上へと運んでくれた。
***
おそらく世界中どこの都市であっても、地下鉄の入口というのはわかりにくいものである。
たとえ適当に歩いて地下へ通じる階段を発見したとしても、それが自分の乗りたい路線である確率は低い。
大都市に縦横無尽に張り巡らされた地下の迷路。
それは、僕たちが道に迷い続けた時間と共に果てしなく延伸し続けてきた、都会に於ける全体主義の遺跡なのである。
子供の頃、僕の家の周囲では毎日毎日「カーン・カーン」と耳をつんざく杭打機の騒音が絶えなかった。
今では工法が変わって、ビルを建てるのにあんな音はしない。
あの音は本当にうるさかった。。。
あの頃に建てられまくった建物たちは時間の経過と共に劣化が進み、今度は次々と取り壊されている。
日本ではあまりダイナマイトを使わないので取り壊しは静かで、ある日気が付いたら居なくなっている。
気が付いてもらった建物はまだ幸せであって、多くの場合は町の景色が変わった事で人々に違和感を覚えさせたとしても、それが一体どのような建物であったかなど思い出してもらえない。ビルが壊され、また新しく建築されるのと同じように、僕たちの身体を構成する細胞も日々、すざまじいスピードで入れ替わり続けている。
そして・・・僕たちの存在も同じように、次々と入れ替わっていくのである。人はそれを「死」と呼ぶが、たとえ僕たちが死んでも、その「記憶」は永遠なのである
***
さて、物語はこれでお終いである。
ここまでお付合いして頂いた方の中には「ふざけるな!」と、お怒りの方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、これ以上の説明にどれほどの価値があるだろうか?
「つまり、夢でも見ていたんだろ?」と仰るあなたには、もう一度冒頭から読んで頂くよりも、実際にショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番を生で聴いて頂いた方が早いだろう、と思う。
ショスタコーヴィチはこう語った。
”音楽は言葉を超える”
僕は確かに、世紀の天才・ショスタコーヴィチと実際に会っていた。
2014年と1960年という54年の時を超え、東京とモスクワという7,500Km
の距離を飛び越えて、観念の中で会話を交わしたのだ。
それが事実であったことを「証言」できるのは僕自身しかいない。
しかし、それは重要な問題ではない。
証拠があろうが無かろうが、真実はたったひとつなのである。
それを論証することは不可能であるが、だからと言って他人を論駁する必要など無い。
重要なのはデータの「正確さ」ではなく、生きている人間の「肉声」だからだ。
人間の歴史とは、とかく嘘にまみれている。
誰に支持されなくとも何も恐れる事はない。
心の中にある唯一の真実を見つめ続けること・・・やがてそれは僕たちが ”今” を生きていた証となって人の記憶に残るに違いないのだ。
僕は鞄の奥から「ショスタコーヴィチの証言」を取り出した。
ゴールデンバットの匂いがまだほんのり残っていた。
僕たちの死刑が執行されるのがいつなのかは、誰ひとり預かり知らぬことである。
ショスタコーヴィチの言った通り、死の向こう側に何も無いことは明白であるが、それはあくまでも「わたし」という容器としての個体について述べたに過ぎない。
「死」はあくまでも「自分」という存在に於いて観察される現象なのであって、それは組織全体から見ればたったひとつの細胞の、はかない記憶に過ぎず、「僕たち」は、これからもずっと生き続けていくのである。
僕はいま一度、桜田通りを南に下りながらビル群の谷間から時折顔をみせる霞ヶ関ビルの姿を、デジタルカメラのモニターの中に追った。
夕刻になると、さすがにポンチョの隙間を突き抜ける冷気が肌に突き刺さった。
完